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今日10月1日は内定式をする企業が多い。

自分が内定式で挨拶をする立場になるとは想像すらできなかった "今を去ること二十何年前の自分" にどんな言葉ならばいつか思い出してもらえるだろうかと考えてみた。

学びと遊びに一生懸命に半年を過ごせというのはありきたりなので、
実際に伝えたのは


「教科書とノートは捨てないほうがいいよ!」だった。


社会人になってしばらく、というよりもずーっと学生の時に学んだことが役立ったと思えることは少なかった。
廻り廻って分かったことは、教科書に書いていたこと、先生から聞いていたことが自分の中で本当にそうだなぁと腹落ちした時だった。これは"sensemaking"の一形態かとも思った。

そして、先生が「これは重要です」「いい質問ですね」と言っている意味を取り違えていたことに気付いた。重要=テストに出る、いい質問=褒められた、くらいにしか受け取っていなかった。
それは議論や対話のうえでの大切な論点であったのだろうと思えるようになれた。
学生との議論であっても手を抜かずにその場での議論を楽しむ姿は「師」というに相応しいと思えるものだった。

あの時は分からなかったけど、先生が伝えたかったのはこんなことなんですねという対話はとてもうれしいものだった。


以上

今日は内定式から学びが腹落ちできる時を考えてみました。

「考えること」についてのワークショップに参加してきました。「考える」ことはスポーツだという話にまず膝を打つ思いでした。


アイディアを出すには

具体的な課題にして、

自分にとってやりたいこと(よいわがまま)を起点にして、

経験や固有名詞を引っ張り出しながら、

恥ずかしがらずにとにかく量をだして、

その場ですぐには判断をしない、

ことが大切と受け取りました。


  今回体験した「考えること」「考える道具」はお試しの短距離的なものであり、長距離のように考え続けること、一度考えたことを繰り返し新たに考えるには、

反復練習をすることで、考えること自体が自分のものとなるだろうと思える体験でした。


 「考えること」を楽しめるようになりたい思いが湧いてきた体験を忘れずに、量が質に転化するまで量稽古に励みたいですね。


「意識の量」を増やせ!(齊藤孝著2011光文社新書)を読みました。

  "意識が高い"というよりも、"意識の量"を増やすというほうか、すっと腹落ちできた。自分にとって、リーダーシップや考えることに関心を持ち始めたいい時期に出会えた一冊で、齊藤さんの考えが染み込んでくるようでした。

  意識とは、センサーのようであり、心配りであり、将来を感じることであり、回りを見渡すことであり、工夫ができることでろう。この意識の量が多く、行き届いている人ができる人であり、就職や職場でもうまくいくというのは実感が伴う話です。

  また、相手からタグ付けされる量が多いかどうかという視点が興味深かった。自分でいくら"意識が高い"と考えていても、相手にとって一緒にやりたいと思ってもらう=タグ付けされることがなければ、自意識過剰ということになるのだろうと考えました。

  読むだけでも"意識の量"が増える示唆に富む一冊でした。


気になった言葉・考え

・幹事になる人

・意識小僧を増やす

・お茶汲み名人

・感知と対応

・フロー

・グループジーニアス


「意識の量」を増やせ! (光文社新書 522) https://www.amazon.jp/dp/4334036252


一所懸命に頑張っていることが、視野を狭くしてしまうことがあります。

 

一所懸命に取り組んでいるうちに、やることに集中しすぎて目的を見失ったり、

一緒のメンバーのことを考えずに突き進んでしまうこともあります。

そして今も"やることありき"で進んでしまっていないかと反省することがありました。

 

いつも行く飲み屋の大将に、はっとさせられる気付きをもらいました。

これはメタ認知をさせてもらったともいえるのかもしれません。

 

自分を含めて俯瞰的・客観的に見ることは意識的に行うことが必要なのでしょう。

その時点では「できないこと」であっても、

振り返り(リフレクション)をすることでメタ認知できるのではないでしようか。

 

・自分はどんな言動をしたか?

・その時、周りの人の反応はどうだったか?

・自分は何を考え、感じたか?

・その時、周りの人は何を考え、感じていただろうか?

 

振り返りとメタ認知を意識しながら、

一所懸命に進んで行けるとはどんなことなのか考え続けたいと思える出来事でした。


JUGEMテーマ:学び


今朝、芽がでた向日葵

写真のように芽がでている姿は自分では見れなくとも、

メタ認知できるようになれればいいなと思います。

 

古武術家の甲野善紀さんの講義を聴く機会があった。最初はマジックを見ているように思えたが、身体の構造や力学を日々研究されているからこそなのだろう。

体の部分を使わず身体全体を使う、手そのものを使うよりも背筋などの力が出るような工夫や意識をする。
手は"でしゃばり"で動きを封じることで、身体全体を使うことができるようになる。
リーダーシップも同じではないかと考えた。リーダーが出過ぎても出せる力は限られていて、チーム全体の力は発揮できない。一見するとどの力を使っているか分からなくとも、全体の力を信じてやってみることが大切だと思えた。


百聞は一見に如かず。

そして
一見を振り返り、考えに結びつけていきたい。

JUGEMテーマ:学び

 

 

 

受験や採用の時期で「面接」のシーズンである。

 

普段は面接をする側が多いのだが、

とある面接を「受ける側」になって考えたこと。

 

面接対策が世の中に充実していて

面接者も試験官も面接慣れしていまっているために

本当に面接で知りたいことが分かりにくくなっている

のではないだろうか?との疑問が最初に思いついた。

 

そんな自分もとある面接のために

面接対策や想定問答を準備したうえで臨み、

まずまず合格点での面接だったのではないかと

思いながら、面接会場をあとにした。

 

しかし、しばらくして振り返ると、

面接官はきれいな「そつない受け答え」を

求めていたのかのだろうかと気付いた。

自分が面接官の時にはいかに表面上の受け答えや

準備した想定質問との差異や本当にそのように考え

行動できる人物かを見ようとしている。

 

自分を面接官の立場として振り返ると

「面接対策はしているがそつなくこなすことに

 重きをおき、本質的な解決や議論に注力するよりも

 それなりに形としてはうまくやりそう」

と判断しそうだ。

 

普段の仕事でも

「生産性を高めぱぱっと終わらせる」

「そつなくこなす」
 ことはいいことだと思っている。

 

ただ、それが本質的な意味や目的を考えずに

本当には大事ではないことを”スマート風に”

仕事していることにつながっていないだろうかと

振り返ることができた。

 

時には違うの立場に身をおいてみる効用かもしれない。

 

JUGEMテーマ:学び

 

池田晶子さんの「41歳からの哲学」を読了する。

 

はからずも11年前(2007年2月23日)に

亡くなられたということに最後に気付いた。

 

命を自分のもの・権利としていることに疑問を持ち、

命を「天与」のものと考えることに驚きがあった。

しかし、振り返ってみれば、会社の肩書きも社会的地位も

借り物であり、本当に自分のものとはなにかとも思えてくる。

 

自分とは精神であり、

精神を鍛えるには

考えること 徹底的に考えること

 

10年以上前の社会事象を取り扱っているが、

その考察は現代でも通ずる深い問いかけになっている。

 

今は生きていない著者がいきいきと語りかけ、

様々な疑問を投げかけられると著作のなかで

生きていると言えるのではないかと思えてくる。

 

「悩むな、考えよ」との帯メッセージが心に響き、

 考えるには力強さが必要だとつくづく思える1冊であった。

 

41歳からの哲学   池田 晶子

https://www.amazon.jp/dp/4104001066/

 

41歳からの哲学 池田 晶子

JUGEMテーマ:学び

 


     齋藤孝さんの教育に関する

     熱い思いと深い知見がこめられて

     いる一冊だった。


 教える人である前に

 学び続ける人であり、

    教育に関わる人は

     学び続けるべきだという

     強いメッセージとして受けとめた。

 

 教育に関する情熱だけではなく、

 人が成長するとはどんなことなのかを

 すっきり整理されていた。


 教育力(岩波新書)

 齋藤 孝 

 https://www.amazon.co.jp/dp/400431058X/

評価:
齋藤 孝
岩波書店
 ¥ 821 
コメント:齋藤孝さんの教育に関する深い知見と思いがこめられている一冊


そこから学べることは?と問うこと

同じものを見たり聞いたりしても

いいね!👍と思って次の面白そうなものを探すのか

 そこから学べることはなにかないのか?

  ほかに似たようなものはないのか?

などと、自分の目で見て自分の頭で考えることの

つながりや意味、物語を見出だしていくことを

実践されている方のお話を聞くことができた。

 

モン・サン・ミシェルのふわふわオムレツの話では

いかに物語性やブランド化をしているかの学びを披露されたが、

自分は食べた時には写真を撮ることや

SNSに載せたら面白そうとくらいしか思ってなかったと

振り返ることもできた。

 

見れども見えず  聞けども聞かず

心を込めて観て聴きたい と考えるお話だった。

JUGEMテーマ:学び

 

就職活動をしている学生との会話をする機会がある。

 

ボランティアの活動をして、

学長からその活動のことを知りたいと呼ばれたが、

緊張してほとんど話せなくて「失敗」だった。

本人は後悔をしていることを一生懸命伝えていた。

 

「失敗」というレッテルを貼って安心してしまっているのか、

自信のなさから他人から“そんなことないよー、すごいよ!”と

言ってもらいたいのかなどと思いながら話を聞き進めると、

私からすると決して「失敗」とは言えないエピソードだと感じた。

 

「失敗」はどのようなことを指すのだろうか

 

起こったことを“どのようにとらえるか”によって

失敗にもなるし、成功の鍵にもなる。

 

学長と話しをする機会は普通の学生では経験しがたいものであり、

将来働き始めたら上司や取引先の“偉い人”と

話す時には緊張しないで済むかもしれないし、

自分で失敗したと思ったことを次に活かせばいいのではないか?

と話してみた。

 

自分も過去の経験を「失敗」として思い出したくないものとして、

封印していたかもしれないと気付かせてもらった。

 

今だったら活かせることがないか、得られる教訓はなかったのか、

改めて振り返ってみよう。

 

 私は失敗をしたことがない

 ただ、1万通りの、

 うまくいかない方法を

 見つけただけだ。

               トーマス・エジソン(1847〜1931)